188139 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

魂のうた、いのちの旅 (徒然編)

2001年6月





2001.6.19.

父の日にもらったもの。
娘からはTシャツ。
これは近所のカジュアルショップで
安売りのものを小遣いから買ってくれた。
「お父さんに合うサイズを買ってきた」とか。
息子からはチョコモナカアイス。
みんなでアイスを買いに行ったりするとき、
決まって私が食べているものだ。
「お父さんが好きなアイスをあげよう」と思ったらしい。
うれしいね。ほんとに。


2001.6.16.

大阪池田での事件は確かにひどいものだった。
しかし、新聞の報道で疑問に思う事がある。
被害者の子ども達の生前の写真や
作文の引用、似顔絵を掲載したり・・・。
なぜそんなことをする?
どんな意味がある?
犯人をより憎むため?
被害者の家族や一般国民の悲しみを
より深くするため?
「なくなった子はこんなにかわいくて
こんなに良い子だったんですよ」
それを知ってどうなる?
誰にどんな得がある?
そうやって現実の悲惨な事件を
ドラマ化しているようにも思えてしまう。
読む側はいつしかテレビドラマを見るのと
なんら変わらぬ気持ちで読むようになるのではないか?
部数を伸ばしたいか?
犯人に対する憎しみを増大させて
その深い憎しみを国民の共通認識に
仕立て上げようとしているのか?
報道の名のもとに善の仮面をかぶった
いやらしい本質が見え隠れしていると思うのは
私だけだろうか。


2001.6.14.

今日は仕事が早く終わった。
帰りに学校の裏を通ると田植えの準備中。
そうだ、今日は田植えの日だった。
校長先生が発案した子ども達の田植え。
地元ケーブルテレビも米になるまで
取材をすると言う。
保護者にも公開され、参加も募られていたので
寄って行くことにした。
すると体育館では学級活動が行われているではないか。
息子の学年だ。
田植えは娘の学年がする。
息子の学級活動のことは全く頭に無かったが
急遽参加。保護者と子ども達で楽しくゲーム。
父親は私だけ。そりゃそうだろうね。
息子も私が現れて驚いていたようだが、
でも喜んでいたようだ。
そして田植えに。娘が泥の中に入って
田植えをする。楽しかったみたいだ。
なんか、こんなふうに学校で子ども達と
ふれあえるのっていいなあ、と思った。
世の父親達はなかなか仕事が忙しくて
できないんだろう。私はラッキーなのかな。
またひとつ、子ども達のうれしそうな顔が見れて
良かった良かった。


2001.6.12.

どんなに楽しくても、
どんなに苦しくても、
「時」は確実に、変わらぬ早さで
流れて行く。
「今」はいつまでも続く訳は無く、
新しい「今」がやってくる。
「時」は来るのか
「時」は過ぎてゆくのか
「時」に流されるのか
「時」に追われるのか
「時」を迎えるのか
いや、「時」を創ることができるんじゃないか?
私の「時」を創ることができるんじゃないか?
そう考える事にしよう。


© Rakuten Group, Inc.